Facebookでシェアしていただいた記事です?
とても感動しましたので、このブログの読者の皆様にもシェアいたします。
私自身、何度も忘れずに読みたいと思っています。
以前、Yahoo知恵袋にこんな質問が寄せられたことがありました。
自然界は弱肉強食なのに、
人が「弱者」を税金で生かしているのはどうしてなのか?
今の人間社会は理にかなっていないのではないか?
そして村上賢司 (@murakenkawaguti)さんは、この問いに対して投稿された「ベストアンサー」を読み、心から感銘を受けたといいます。
村上賢司
@murakenkawaguti
これのベストアンサーはまさに知性であり、今この質問者と同じ思いの人たちに届いたら、絶対に理解できるはずの名文だと思う。これ、誰なんだろう?http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1463546664 …
以下、回答の全文です。
少々長いですが、ぜひとも最後までご覧ください
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え~っと、、、よくある勘違いなんですが、
自然界は「弱肉強食」ではありません。
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません。
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています。
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です。個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます。
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます。
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません。
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです
種レベルでは「適者生存」です。
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません。
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです。
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、
「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです。
必ずしも活発なものが残るとは限らず、
ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります。
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り。
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです。
そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです。
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります。
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります。
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する。
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です。
どれだけの個体が生き延びられるか、
どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、
その社会の持つ力に比例します。
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました。
生物の生存戦略としては大成功でしょう。
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。
遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、
どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、
将来は「有効な形質」になってるかもしれません。
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。
(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。
その「弱者」たちが集まって、
出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、
どちらがより「人間社会」の本質かといえば
「協働」である、
と答えるんです。
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。
我々全員が「弱者」であり、
「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです。
出典:YAHOO!JAPAN 知恵袋
私も、以前、「蟻は働き者?」という話を聞いたことがあります。
なんと、働きアリの中には、必ず仕事をしない怠け者のアリがいるそうなんです。
それは、アリが生き残るための戦略だからです。
誰もが、働き過ぎていたら、いざという時に、動ける者がいないかもしれない。
だから、普段はのんびり怠けていても、大切な存在なんだそうです。
人間も同じだと思います。
誰もが同じに素晴らしいという社会は、
意外にもろく、壊れやすい。
異質なものが、存在することこそが強さですね?
サイボーグ009のチームみたいな(笑)
赤ちゃんさえ、戦士の一人ですね。
コメント
いい記事のシェア、ありがとうございます。実際、ほとんどの人が生存競争のことを弱肉強食だと誤解していますね。いろんな人と話してみても、ほとんどの方がなんとなく非科学的で物語的な自然観で考えているようです。科学って、私たちにとって有用なだけでなくヒューマニズムに根差しているんです。もっと科学的な世界観が広まってほしいなと思います。