【年齢による上下関係・男尊女卑は日本的儒教の解釈から?!】

ライフハック

毎月1回の楽しい先生たちのサークル。
参加している先生たちも楽しいし、サークルも「たのしい授業」をめざす、仮説実験授業をもとにした、たのしい、お気楽な、それでいて、根本を問うような深い研究会です?????

サークル

さて、今月のテーマは、A先生の3ヶ月連続シリーズ、
「仮説実験授業と宗教」

そして、江戸時代以降の儒教の教えが、わたしたち日本人のモラルや、生き方に大きな影響を与えているという、とても興味深い、面白いものでした。

「儒教特有の、年齢による上下関係、男尊女卑の関係、礼儀正しい行動など、西欧、儒教文化でない国ではなかなかお目にかかれない状況があります。」
以下「。。。」は、授業書の抜粋です。

ま、まさか、年齢による上下関係、男尊女卑が、儒教の教えだったとは!!!
驚愕の事実でした!!!

「儒教は、孔子が周の封建制度を理想として作ったものですから、その発展としての国家運営は上下関係と仁を重んじる、道徳的なものとなりました。」

日本の場合は、中国の科挙制度のような公務員試験ではなく、寺子屋などで教えられ、広く一般の国民の生活に、無意識の行動の中にすり込まれていったものだということです。

このような、江戸時代、明治の初めの儒教が、今も日本人の行動や判断の基準になっていることが多いのです。

他人に迷惑をかけてはならない、空気を読まなければならない、集団に適応しなくてはならない、若者より年配の人がたとえ間違っていても大切にされる、ということが起こるわけです。

自分を表す「I」は、英語では、1種類だけですが、英語を教えていて感じるのは、主語を言う日本人が少ないことです。つまり、「わたし」がなく、わたしたち、みんなが、が主語なので、主語を言う必要が無く、また、「わたし」「わたし」という人は集団を大切にしない身勝手な人と思われがちです。

それなのに、日本語は、自分を表す言葉の多いこと!!!
「わたし」「おれ」「うち」「わし」「じぶん」、諫早では「こっち」とも言います。
面白いのは、相手のことを「じぶん、われ」と言ったりすることもあり、相手と自分が同じということもあります。自分と相手がセットで一つであり、

「個」がないのです。

「これは、相手との関係性を使い分けるためにあるのです。ということは、相手との関係で自分を変えると言うこと。つまり、相手との関係を作り、秩序を作る方法でもあります。これも、人間関係の秩序を守る儒教です。」

「日本の儒教は、共同生活をせざるを得なかった村社会に適合しました。村の一員として他人に迷惑をかけないことを第1とし、封建社会における上限関係を正しく守るため《忠》の教えを大事にしてきました。」

家族の中でも、社会でも、役割で呼ばれることが多いです。
「お父さん」「お母さん」「学長」「社長」などなど、、、
つまり名前のある個人ではなく、その役割を担った集団の一人なんです。

 

社会の幸福を追求するときも、日本では個人がなく、集団、会社、学校などの組織を守ることが第一とされます。個人のユニークな行動は規制され、集団、組織が優先されるのです。

一方、欧米では、まず個人があって、その個人を大切にすることによって、個が共生して、共同の社会を良くしていこうという考えです。

わたしたちのサークル、「たのしい授業」「仮説実験授業」では、「あなたはどう思いますか?」と個人としてのひとりひとりに問いかけ、その考え、予想のひとつひとつを大切にします。教え合うことはありますが、考えるのはそれぞれに自由なのです。そして、「みんながどう思うか」ではなく、「事実」を大切にするのです。

「仮説実験授業は個人主義です。」

「私たちの周囲には、集団主義的、儒教概念があふれています。この中で、仮説実験授業があたりまえに行えるようになるには、まだまだ時間が必要なのかもしれません。」

わたしは、今度の選挙を見ていても、そんなことを感じました。

あと200年後と言わず、
すぐにでも、「たのしい授業」を受け入れる社会になってくれるようにと願います。?????

 

 

 

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