〜一歩踏み出す勇気とご縁の力〜

留学・マッキー

おはようございます☀マッキーです?

牟田万希子

涼しい風が吹くようになり、だんだんと秋を感じますね。でも、急に暑くなったり、季節の変わり目、薄手の物を羽織るなどして対策をとっています♪

 

さてさて〜 今日は、なぜニュージーランドに留学することになったのか、その経緯をお話ししていきます。

何も突然「ニュージーランドに留学したい!」と思い立ち、留学したのではありません。

 

私は母が

『学校に行かなくてもいいよ。』= 家にいてもいい

ということを言ってくれたのが1つのきっかけになって、元気になっていきました。

家からも出られるようになり、自分が本当に興味があること、元気になることをしました。

もちろん、”元気になること” は一人ひとり違います。そのことを頭に置いて読んでほしいと思います。

私の場合の ”元気になること” は、カフェに行くこと、人(いい意味で変わった人)と会うこと、講演会に行くことなどでした。

もちろん、いつも活発に過ごしていたわけではありません。ドラマやテレビをずっと見ていたこともありました。何もしていない自分に罪悪感はありましたが、ドラマやテレビを見ている時はその罪悪感を感じないで済みました。

 

そうした状況でありながらも外に出ることで、学校に行っていたときには出会わなかったであろう人や場所、体験などのご縁をいただきました。それらは私に新しい価値観と自信をくれました。

 

〈 外にで始めた頃 〉

家から出始めて、最初の頃はカフェに母と行っていました。カフェに行くことで、外に出ることに慣れていきました。

 

〈 スッキリ 〉

広木克之先生 神戸大

これは、母情報から行くことになったのですが、フリースペースが主催した 広木克行先生の講演会に出席しました。この先生の講演は、私の心のモヤモヤを言葉にして代弁してくれました。なんで私は学校にいけなくなったのか、わからなくて、とても辛かったのですが、これを聞いてスッキリしました。感動しました?これは私にとって、とーっても大きな転機になり、さらに 元気になりました。

 

〈 居場所とのご縁 〉

クレイン・ハーバー

私には安心できる場所は家しかありませんでした。その中でもやっぱり居づらい時もありました。

母が持っていたパンフレットでフリースクールクレイン・ハーバーを知り、通い始めました。さらに、広木克行先生の講演会後、フリースペースとも出会い、通い出しました。最初こそ慣れず、難しかったものの、だんだんとそこでありのままの自分を出せるようになりました。家族とは別の安全地帯を得て、今の私を受け入れてくれる人が周りにいることを実感しました。ここへ通えるようになったのも、人に、学校に行ってないことを話したことで、その時の自分自身をちゃんと 認めていた/受け入れていた からだと思います。

 

 

〈 ご縁のつくり方 〉

これもまた、母が教えてくれた、エコフェスだ。私は1人の参加者としてそこへ行きました。その時の私は「学校に行っていない」と言うことを会った人には言っていました。(もちろん、言いたくない時は言いませんでしたよ。)

しばらく経ってから、おくんち広場でフリースクールの活動の一環として、子供たちが遊べるブースを手伝うボランティアをしました。その時に、エコフェスタであったKさん(大学生)が私を覚えていてくれて、長大のサークルに誘ってくれました。私が思うに、Kさんは、学校に行っていないながらも、私が日本の教育に疑問を持っていたり、外国に興味があるという所に関心を持ってくれて、誘ってくれたのだと思います。

そのサークルは、部屋に足を踏み入れると、英語だけで話すと言うルールがありました。その時私は中学2年生でした英語はあまりわからなかったけど、”その場に行けた” ということが自信になりましたし、いい経験になりました。

一方で、英単語を身に付けたい!と思うきっかけにもなったのです。

外に出て、「私は学校に行っていないんです。」と自分を出したからこそ、Kさんは私のことを覚えてくれていて、こういうステキなご縁をくれたのだと思います。

 

〈 異世界 〉

外国の書籍船が長崎に寄港するという新聞記事を母が見つけた。ロゴス・ホープ号という外国の本を売りながら、世界を回っている船で、乗船することができます。

ロゴス号は、40年前にも長崎に寄港しており、その時中学2年生だった母は、学校をサボってまで、乗船したそうです。(初耳デス‼️)その船の楽しさを知っていたからこそ母は、私をその船へ誘えたと言っています。

その楽しさが伝わったのか、私はそれに興味を持ったので、行ってみることにしました。船の中に入ると、様々な国の人がいて、たくさんの外国の本がありました。私が楽しそうに意味も理解できない英語の本を見ていると、その船のスタッフ(外国人)さんが声をかけてくれました。拙い英語で挨拶はできたものの、それ以上は所々しか理解できなかったので、会話が続きませんでした。もっと話したい!もっとわかるようになりたい!そんな気持ちができ、英語を勉強しよう!と思えました(^^)✨

 

〈行動すれば、降ってくるチャンス〉

またもや、母が誘ってくれた「あこがれ先生 プロジェクト」という講演会に行きました。その講演会の内容も素晴らしかったのですが、その後に合った懇親会で留学のきっかけをいただいたのデス‼️

講師の中村文昭さんの息子さんがニュージーランドに留学中で

「今度ニュージーランドに行くけど、まきちゃんも一緒に行ってみない?」←標準語に直しました

と誘ってくださいました。

お話ししてきたように、英語に触れることが多く、また、外国への興味もあったので、自分が通ってきた道とつながっていると感じ、その場で「行きたいです!」と言いました。父の了解を得て、すぐ「行きます!」と中村さんに連絡しました。

予想だにしない ”留学” と言う話が降ってきましたが、この時は、来たものは掴むと言う感覚だったので、そのチャンスを掴んだのでした。

 

〈 まとめ 〉

この文を書きながら思ったのですが、ほぼ全ての情報源は母でした‼️母、偉大なり✨母あってこその今の私です。もちろん、たくさんの方々にも支えられました。今でもそうです。本当にありがとうございます。

 

私「お母さん、偉大だわ~。いろんな転機の情報源はお母さんやったね?」

母「それを活かしてくれたのは、マキコでしょ。」

私  ズキュン?❤️

 

すみません笑 これは置いといて…

 

これまでたくさんのご縁があって、留学できることになりましたが、やっぱり最初の1歩を踏み出、外に出たからこそ得たと思います。1歩を踏み出せた当時の私にも拍手したいですが、何よりも、そうさせてくれた環境があったからです。感謝します??✨

 

長かったかもしれませんが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました❣️

次回は、ニュージーランドでのことを書こうと思っています?

 

 

 

 

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