中学聖日記
何度も見たいほど、面白い物語でした。
フランス在住の漫画家、かわかみじゅんこ原作の漫画実写化です。
このドラマを見ようと思ったきっかけは、
名作TVドラマ「アンナチュラル」制作の、3人の女性スタッフのうち、
監督を、塚原あゆ子さん、
プロデュースを、新井順子さんが、担当されていたからです。
3人の女性スタッフは、アンナチュラルでは、このブログの過去記事をぜひ読んでいただきたいのですが、
様々な現代の社会問題を取り扱ってあり、またストーリー自体も、目が離せないほど面白く、クオリティの高いドラマを作っていました。
1作目は、今のコロナのパンデミックを予想していたと、話題になりましたね。
OK, Lets jump right in ?????
私は、中学聖日記の、二つのことに注目したいと思います。
ダイバーシティの新たな課題・大人/子ども
物語は、15才の中学3年生の少年が新任の女性教師に恋をするという設定で始まります。
年齢差は、11才。
そして、女性教師も次第に、少年に惹かれていきます。
少年 黒岩 晶(あきら)を、新人、岡田建史(おかだたけし)が熱演、
女性教師 末永 聖(ひじり)を有村架純が演じます。
社会では、子どもは、大人が正しい道へ導いていかなければならない、未熟な存在という見方をしますが、
このドラマを見ていると、
「誰に何といわれてもかまわない、先生が好きだ」
と言い放つ、晶の強さを感じます。
子どもは、本当に、大人より劣る存在なのでしょうか?
ダイバーシティとは、人種の違い、女性男性の違い、などが問題となりますが、大人と子ども、年齢差、というのも、ダイバーシティの一つだと考えました。
私は、娘たちを育てるときも、
授業の中でも、
2才の子どもから、対等の存在としてお付き合いさせてもらっています。
私たち大人、親や教師は、知識のスキルを教えているだけで、
生きること、この世に存在するという根本の意味では、
大人は、こどもたちの人格を、自分たちと対等に尊重しなければならないと思います。
私の娘たちは、
小さな頃から、自分たち大人と、対等の人格として育てていたので、
幼稚園の先生がある日、「今日はお父さん、お母さんのボーナスの日だね」と何気なく笑いながら言った時に、
「え? 私それ聞いてない!」
と、自分も聞く権利があると、堂々と怒っていたそうです(笑)
二人の恋愛は、プラトニックなので安心してください(笑)
教師の聖は、絶対に晶の思いに答えてはならないと、彼には「会わない」と決意するのです。
しかし、学校はもちろん、母親が全力で、女性教師 聖を責め立て、聖は学校をクビになります。
そして、聖の婚約者、エリート会社員、川合(町田啓太)も、必死で聖を連れに来て、晶と引き離すのですが、
婚約者、川合の女性上司、原口律(吉田羊)は、はっきりと言い放ちます。
「合ってしまったのよ。(愛し合う人に)」
上司の律はこのドラマを引き締める大きな役割を演じます。
彼女自身、バイセクシャルで、女性の恋人がいたりします。
律は、愛情に年齢は関係ないと直感しているのです。
(フランスの大統領は、20才年上の大学時代の先生と結婚しています)
そして、教師 聖に言います。
「答えは、自分で見つけるものだよ。」
「闘え! 聖!」
ネタバレを少し含んでいて申し訳ないですが、ラストは書きませんのでご安心を(笑)
ドラマの前半は、キラキラとスピリッツに満ちて、魅力的なのですが、
後半は、少しがっかりしました。
晶 は、妨害する母親や、社会に合わせて生きなければと思うようになり、
だんだんと、諦めていくのです。
ドラマの前半では、堂々としているのですが、
後半では、周りに合わせ、次第に独立心を失っていく姿が、逆に幼くなっていくようで残念でした。
アメリカでは、もし両親の虐待などがあった場合は、
子ども側から、
親子の縁を切る、という選択もできる法律があります。
母性社会日本の病理(河合隼雄・ユング心理学)で解説
母親の黒岩愛子45才(夏川結衣)は、聖に対して、ものすごく恐いです(笑)
どこまでも、付け狙い、絶対に日本中のどこの学校でも教師をさせるものかとまで、追いかけてきます。
晶に対しても、とことん、ここまでするか!と思うほど、聖への思いを断ち切らせようと振る舞います。
晶が18才になっても、その恐ろしさが止まることはありません。
あなたのためを思ってしているのよ❗️と
選挙権も18才からとなり、
欧米でも、18才は、もう大人だから、親が口出しをすることは、できないというのが通念です。
高校の出席状況さえも、本人の許可がなければ、親には、知らされることはありません。
この母親、愛子の振る舞いは、
ユング心理学の河合隼雄先生が、
著書「母性社会日本の病理」で、詳しく書かれています。
母親というのは、何でも許し、全てを包み込む、温かな存在の象徴です。
しかし、それが行き過ぎると、
何もかもを包み、飲み込んでしまい、相手を窒息させて殺してしまうのです。
日本は特にこの「母性」が強い社会です。
お母さんだけでなく、社会全体がということです。
企業でも、その会社にいれば安全だけど、独創的な意見を出せない。
社会全体でも、みんなに合わせれば、守ってもらえるけれど、出る杭は打たれる。
学校でも、求められるいい子でいなければならない。
日本は、個人として、生きにくい社会なのです。
後半で、家を出ていた、父親と再会することができますが、
この母親、愛子自身の、
成長や、気づきがないのが、ドラマにもうひとつ深さが出なかったのも残念です。
続く。。。。。。
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