心理学者・精神科医「泉谷閑示」(いずみやかんじ)さんの本、
「普通がいい」という病
という書籍の中で、
多数派マジョリティ、それに属さない少数派マイノリティについて、
自分が、他の人と違っていると思うとき、その人は、
「自分がおかしいんだ」「自分はマイノリティだ」と考え、自分をみんなと同じ「正常」に変えなければならないと思うことでしょう、と書いています。
特に、日本は、このような「みんなと同じでなければならない」と、
意識的、また自分では分からず、無意識に思っている人が多い社会です。
小さな島国なので、少しでも違えば、攻撃の的になり、
イジメにあい、苦しまなければならない人も多いと思います。
ところが、泉谷閑示さんは、
たくさんの人が、行動しているとおり、考えているとおりに、
自分もその、マジョリティの道を歩けば安全だと思っている。
その道は、必ずしも安全だとはいえないと言います。
しかも、マジョリティの道は、みんなに合わせなければならない、窮屈な道です。
人間は、それぞれがユニークな存在なので、
一万人の人がいたら、一万通りの、道なき道があるはず。
安全と引き換えに、
みんなと同じ、マジョリティの道を歩くことは、
いろんなことをあきらめたり、
感じないように麻痺させたりして、歩いているということです。
本当は自由でありたいのに。
でも、マイノリティの自由な小道は、地図もマニュアルもありません。
だれも、その道を歩くのは、怖いですよね。
大勢の人が歩いている道なら、
ありのままの自分を隠す仮面を
かぶらなくてはならないけれど、
その引き換えに、なんとなく安心。
また、マジョリティの道を歩く人は、群れを作り、徒党を組んで、
そのグループ以外の人を疎外することによって、優越感を感じます。
しかしマジョリティの道が、安全だというのは幻想です。
多くの人が歩く道で、これまでどれだけの災害、戦争、不幸が起こったことでしょう!!!
メメントモリ
誰もにいつか死は訪れます。
その時、自分を生きなかったことを後悔したくないですよね。
泉谷さんは、パニック障害や、自傷行為をしている人は、
このメメントモリ、死に近づく体験によって、
「本当の自分が今にも死にそうだ」
ということに直面しているのだと言います。
そして、
全ての人がマイノリティの道を歩くときに
本当に豊かな社会が実現するのだと。
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