こんにちは?マッキーです!
今日は〈質問〉や〈応答〉に関してをご紹介したいと思います。
〈質問〉は素晴らしい✨どんどん質問させてくれる授業の在り方、先生自身の認識と生徒が発言したことに対しての〈否定〉のないやり取り〜?
人は、質問することや応答を繰り返すことで、相手のことを知ったり、分かったりします。逆に、この人とはもう話したくないなと思ったり、この人の話しは聞きたくないと思ったりもします。
つまり、授業で質問をすることで自分の理解が深まったり、逆に、もういいやと投げ出してしまったりするのです。
この違いは何でしょうか…?
わからないことや聞きたいことがあれば、質問していいはず。
でも…的確な質問しかしてはいけないと感じたことがある人、または、先生から生徒に対しての質問に、正しい答えを知っている人しか答えられない空気感を感じたことはありませんか?
これを言ったら、どう思われるかな?先生や他の生徒にどう見られるかな?などの他人軸で考えている人が日本では多い気がします。さらに、否定されるのが怖い!という人も…私もその中の1人です(^-^;
自分がわからないから質問する、知りたいから質問するなどの自分軸。これが本来あるべき姿ではないでしょうか?NZで、私はこの自分軸で質問できていました。
私が通っていたNZの高校の先生方は、
「わからないことがあったら、いつでも質問してね。私たちはそのためにいるんだから。」
と、よくおっしゃっていました。
生徒が、さっき先生が言ってたやん!ということを質問することは、何回もあります。ですが、先生は、
「しっかり聞いときなさい!」
と、怒って終わるようなことはありません。
そういう時は、もう一度説明するか、後でその人のところに行って個人に説明することもあります。
また、先生が生徒に質問し、全然違う方向の答えが返って来ると、
「ごめんごめん。言い方が悪かったかな?」
と、もっとわかりやすく噛み砕いて説明してくれます。
こういうこともあり、NZの生徒は、わからなかったら手を挙げて質問することに、抵抗がある生徒は少ないと思います。わからない事があれば、先生に机まで来てもらって、詳しく噛み砕いて説明してもらうことも、しょっちゅうあります。
NZでは、先生が授業の間、ずっとみんなに向かって教えている(喋っている)ことはありません。絶対質問できる時間をとるし、わからない子がいたら、その子にきちんと説明します。
これは、少人数のクラスだからこそできるのかもしれません。授業によって変わるのですが、平均で、1クラス15人〜30人くらいです。
質問をすることで、小さな《わからない》を《わかる》に変えることができます。その積み重ねが学力にも、個人の勉強に対する意欲にも関わってくるのではないかなぁ〜と思うのです。。
また、先生の質問に対する応答に関しても、「それは間違いだ。」と言われると、否定されたと思い、自己肯定感が下がります。
私はNZの高校で、正しい・間違いではなく、まずクラスで発言してくれたことに対して「ありがとう」の気持ちを持って対応してくれたのを覚えています。とっても嬉しかったし、また質問しようと思えました。
先生は教えもするが、生徒の力を引き出す・生徒をサポートする役割の方が大きいのでは?と感じています。
今は、技術が発達し、答えがあることは何でもスマホに聞けば教えてくれます。
先生の役割は、授業を面白く、興味深いものにし、生徒が興味をもって学べることに繋げること、そして、興味を持ったことに対して、いかにサポートできるか、なのではないでしょうか?
NZに留学する前は〈他人軸〉で、本当に質問するのにとても勇気が必要でした。ですが、NZでは、質問しないと損だなということに気づき、どんどん質問していました。今は、自分軸で質問できるようになりましたが、場所によっては、質問するときの空気感がかたく、勇気が要ります…?
コメント
マッキーさん、生徒たちが安心して、質問できる雰囲気って大事ですね。
日本では、人の目を気にする恥ずかしい文化があって、とても残念です。
私は、自分のクラスでは、「質問してくれてありがとう!」っていう場を作ってます?
Candy先生、コメントありがとうございます?✨
本当に雰囲気は、大事だと思います!日本の協調性を大切にするのはいいのですが、わからないことや聞きたいことを聞けないとなると、問題ですよね…。そういうCandy先生のクラスは自分を出せる感じがして、素敵です??